「移植された木」

宮本俊一宣教師

August 28, 2022

こんにちは 私はミシガン州デトロイト郊外の町コマース タウンシップ(Commerce TWP,
MI)に住んでいます。日本人は1万人程この地域は住んでいます。そこで日本人伝道をして
いる宣教師です。

  1. 「幸せなことよ」詩篇1篇1節
    詩篇のスタートは、「幸いなことよ」、「幸せな人よ」”Blessed is the man”(Happy
    are those)で1編1節では始まっています。ヘブル語では「Ashleyアッシレー」、(幸
    せ)ですの意味です。
    日本人も多い町ですが、さらにユダヤ人は15万7千人程住んでいます。よって私の家の住
    所はヘブル語のASHLEY CTです。
    このASHLEY(אשרי)のとは、詩篇1篇1節ヘブル語で「幸いな」を意味する言葉です。
    その昔、ヘブライ世界では、神への祭壇を築くときに自然石を積み重ねました。ひとつひ
    とつ石を切り出して形をそろえることは決してしませんでした。このASHLEYの語幹はシ
    ャレム(シャロームの形容詞:平和、平安、ありのまま)にはノミをあてないという意味
    があれいます。出「20:25あなたが石の祭壇をわたしのために造るなら、切り石でそれを
    築いてはならない。あなたが石に、のみを当てるなら、それを汚すことになる
    。」Exsodos20:21’And if you make Me an altar of stone, you shall not build it of hewn
    stone; for if you use your tool on it, you have profaned it.
    「無理をせず、ありのままの姿でいることが平和であり安らかなのだ」神さまから私だけ
    に与えられている個性、才能は充分に生かしながらも、無理をしないで、飾らない、これ
    がユダヤ人の幸せに対する根本的考えである。
    例えば日本の学校教育は、一人々の個性を伸ばすよりも、個性を削り、学力の偏差値で測
    る傾向がある。それが本当の幸せに結びつくとは限らない。
    ユダヤ人は長い歴史の中で、民族が安らいでいられたのは、長い歴史の中で、ダビデ王と
    ソロモン王の統治したわずかな期間であった。
    神と私という絶対的な関係において私は,神様の前に立ち,表裏もなく,人の評価も気に
    することなく,評価をするのは人間ではなく神様のみだ。それゆえ「ありのまま」の姿を
    現せたとき,平安,平和が訪れてくる。幸せな生活の基本条件を1節では表現している。
  2. 「移植された木」3節
    詩篇1編3節の「水路のそばに植わった木」です。 
    イスラエル地方は雨量の少ない乾燥地帯なので木々は成長しません。 成長する木
    は、誰かの手によって人工的に、荒野の灌木から小川のそばに移植された木なので
    す。
    私たちもまた、かつての生活は荒野で育つ灌木のようでした。なかなか成長しよう
    と思っても出来ない、実が成ろうとすると人生の中で嵐がやって来て枯れてしまう

    しかし、イエスキリストを通して、私は水路の傍に植えられた木のように、確実に
    根が張り、時間がかかっても成長し、実のなる人生が約束されているのです。
  3. 日本から米国に移植された人(ラストサムライ)
    勝海舟の勧めで1871年に2人のラストサムライが留学の目的で渡米しました。
    大宜見元一郎 木村熊二です。彼らは横浜からサンフランシスコそしてニューヨー
    ク(NY)に渡りました。しかしどこも彼らを迎え入れてくれる所はなく、所持金も尽
    き困り果てていたところ、偶然(NY)の街角でフィリップスという敬虔なキリスト教
    徒に出会いました。彼はミシガンのホープカレッジ初代校長でした。学費・寮費・
    食費一切をこのラストサムライたに提供しました。やがて彼らはクリスチャンにな
    り、そればかりではなく神学校で学び牧師になりました。帰国後、明治学院、東京

女子大学、フェリス女学院の創設に力を尽くし、長野県では小諸塾にて島崎藤村に
洗礼を授け、米国留学を勧めた勝海舟にも福音を伝え、勝海舟も晩年、キリストを
信じる者となって行きました。
このような歴史の中で、西ミシガンは日本の大学との交流が現在でも盛んで日本か
らの留学生が多い地域です。
4.日本から米国に移植された人(駐在員たち)
(1)日本人は不思議な民族です。
12年前にミシガンに来て、私が驚いたのは、日本人の気質です。
日本に住んでいるときは、教会や聖書には興味を示さない。しかし駐在員たちはミ
シガンに来た途端にクリスチャンとの交わりを好み、聖書のことばに耳を傾け、救
い主イエスキリストを心に迎え入れ、中には受洗する者も現れる事実です。
(2)リビングバイブルに耳を澄まして聴きく日本人(聖書のことば)
 生まれて初めて聖書を開く神のことば、感激して涙を流す人もいます。心の覆いが
取り除かれた日本人はリビングバイブルを新鮮に受け止めます。
(3)イエスキリストのリビングウォーターのもとへ(聖霊の働き)
生活に疲れている人がいる人。仕事に重荷を負っている人がいる人。疲れている人
重荷を負っている人は今日、私(イエスキリスト)の元に来なさい。イエス様はあ
なたを心から安らかにして下さいます。心が乾いている人が居たら幸いです。今日
、決して乾くことの無いイエスキリストが与えるリビングウォーターを頂きましょ
う。
(4)洗礼を受ける
   信仰告白してクリスチャンになることは容易いですが、公にクリスチャンとなりま
したと公表する洗礼は日本人には未だ敷居が高いようですが、それでも日本国内で
受洗するよりははるかに多いです。日本国内で年間受洗者数は7000名位、しかし海
外で年間受洗する人の数は少なく見積もっても2000名程はいることでしょう。
5.主の教えを口づさむ 
(1)「神様のことば」を昼も夜も口ずさむことです。
日本語の詩篇は、英語では「Psalm(サーム)」、へブル語「Tehillimテヒリーム」と言
い、「主をたたえる」です。
人間が成しうる最高のものは「主をたたえる」ことで信仰の中でも一番高いレベルです

約400回NTに詩編の引用が出て来る(直間接合わせて)
初代教会がどれほど愛用したか、会堂で朗読と同時に礼拝で詩編を歌ったのです。
詩編をそのまま歌う現代でも(グレゴリオ聖歌)が名残です。
どこに行っても時が良くても悪くても環境に左右されない幸せを神のみ言を口づさむ。
(2)神のことばは人生に驚くべき事が起きる 詩篇119 (Psalms 119)から
①「ことば」はヘブル語の意味でEvevt ダーバール(事件)と言う意味である。
聖書のことばが私の心に入ると人生がひっくりかえるような事件が起きるのです。
ヘブル11:3この世界が神のことばで造られた The universe was created by God’s
word
創世記1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった

1:3 すべてのものは、この方によって造られた。
これらのことは事件でダーバール(事件)であり、私たちの日常生活でも神のことばを
蓄えている者にとっては素晴らしいダーバール(事件)が起こりうるのです。
②目が開き、驚きの世界
詩篇119:18 私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいこ
とに目を留めるようにしてください。
Psalms 119:18 Open my eyes, so that I may see /the wonderful truths in your

law.
開くOpenをヘブル語ではre veal ガーラー(覆いを取り除く、啓示)と言う意味である
。 目が開かれると驚きwonderfulの世界が広がる。
私たちの歩むべき道は何によって知るか、御言によって知る
へブル11:1 目に見えないものを確信させるものです。
マタイ24:1-35 エマオ途上の2人の弟子に、イエスは現れ言われた「心の鈍い人達。」
「聖書全体からイエスご自身の事を解き明かした。」それから食卓を共にしたとき「彼
らの目が開かれたOpen my eyes」
③「ことば」は永遠の存在
詩篇119:89 主よ。あなたのことばは、とこしえから、天において定まっています。
Psalms 119:89 Forever, O Lord,Your word is settled in heaven.
マタイ24:35 この天地は滅び去ります。しかしわたしのことばは決して滅びることがあ
りません。Matthew24:35 “Heaven and earth will pass away, but My words will by
no means pass away.
4 命に満ちあふれた人生 To be full life
詩篇119:50 これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。
Psalms 119:50 Even in my suffering I was comforted /because your promise gave me
life.
この箇所はさまざま訳し方があるが下記の3つはどれも素晴らしい。
私の魂を生かす。   To give life  命を回復(レストア)させる To resutore life
命に満ちあふれた人生 To be full life
5 日々の歩みと将来の光
詩篇119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
Psalms 119:105 Your word is a lamp to guide me /and a light for my path.
日々の歩みとしてのともしびであり。行き先がわからないで立っている私に行き先を
語ってくださる光です。。
6 あなたに悟り、識別力を
「悟り」はヘブル語の意味でビーン(識別、判断力)と言う意味である。
詩篇119:130 みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与え
ます。
Psalms 119:130 The entrance of Your words gives light; It gives
understanding
to the simple.
.
6.もみともみがら 4節
詩篇1編4~6節は何を私達に伝えているのでしょうか。「もみ」と「もみがら」です。
私は茨城県の水郷地帯、稲作が盛んな地域で生まれました。 秋の収穫は大変です。稲刈りをし
、稲穂だけを取りますが、その後、「もみ」と「もみがら」が混ざっているので別けなければなりませ
ん。その作業を見て来ました。農家の庭にビニールシートを引き、そこに混ぜっている「もみ」と「も
みがら」を拡散します。そして大きな扇風機を持って来て、スイッチオン、あっという間に「もみがら」
だけ風と共に吹き飛ばされ、「もみ」だけが残ります。
「もみ」と「もみがら」です。外見からは区別できないですが、「もみ」は実があり、「もみがら」は中身
は空っぽです。
神の審判
詩篇1編4~6節が言われている事は何でしょうか?
最後の神の審判です。私たちの内に「もみ」すなわち「永遠のいのち」があるか、それとも「もみが
ら」「永遠のいのちが無い」かということです。
神様は皆さんお一人一人を愛して下さっています。罪の為に滅びゆくはずだった私の為に救い主
イエスキリストを私達のために送ってくださいました。
ヨハネの福音書3:16 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは
御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 3:17 神が御子
を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」
心から主に感謝しましょう。    

お祈りしましょう。

ⓒ Battle Creek Japanese Worship Service

Location:
Battle Creek Han Mee Korean American Presbyterian Church
14041 Helmer Rd. S., Battle Creek, Michigan