クロガー・ジョン牧師
日本語訳:クロガー潤子
June 12, 2022
聖書には、神がどのような方で、何をなさったのか、また今何をなさっているのかについて知ることができる、様々な神の名前があります。聖書はまた、私たちがどのように神を知ることができ、また私たちが何者であるかを教えてくれます。
聖書には、神が私たちの創造者であり、助けであり、慰めであり、私たちを導いてくださる方であり、素晴らしいもの与えて下さる方であり、そして神が私たちに与えてくださる最高のものは、御子イエス・キリストを通して私たちが罪から救われることだと述べられています。聖書では、神は「父」と表現されている箇所が多く見られます。クリスチャンは三位一体、すなわち、3つの位格で現される唯一の神が存在するということを信じています。
今日は、優しくて、恵み深い愛に満ちた、私たちの天の父である神についてお話ししたいと思います。次の日曜日は、父親を覚えて感謝する日、父の日です。この日は、様々な感情をいだく方が多くいるかもしれません。ある人は暖かく、思いやりのある父親に育てられたかもしれませんし、またある人は冷たく怖い父親に育てられた人もいると思います。
聖書には、神は聖なる存在であり、いつもに正義であり、また常に唯一良い方で、愛と優しさに満ちた存在であることが示されています。そして私たちの父なる神は、人間の父親がなり得ないような完璧な父なのです。
私の父は厳しかったですが、優しく愛情深い父でした。しかし彼の父(祖父)は冷淡で、無慈悲な人物だったそうです。私の父は完璧ではありませんでしたが、子供たちに対する父親の愛と思いやりを私たちに示そうと常に努力していました。父は祖父が父に対して接したようにではなく、天の父である神のように、愛と優しさをもって私や私のに接してくれました。
ヤコブの手紙1章17節にはこのようにあります。「すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません。」
神は良いものをくださる方であり、私たちを祝福し、養ってくださいます。そして、父である神が私たちにくださる最も素晴らしいものは、御子イエスによる救いです。神は私たちを神の家族に迎え入れ、今生きている人生の希望と目的を与え、天国で神と共に過ごすために永遠の命を与え、私たちはそこで永遠に神を讃えるのです。
まず、父なる神の愛と、神が実際に私たちを養ってくださるという事について分かる次の箇所を読みたいと思います。イエスは父の愛と守りについて、マタイによる福音書6章の中で弟子たちに教えています。
「ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。」マタイの福音書6章25~31節
イエスは弟子たちに、父なる神が私たちの必要を満たしてくださり、その愛と恵みで私たちを祝福してくださると教えています。
また、マタイによる福音書10章29~31節でも、イエスは父なる神が私たちを養うために、どの様に私たちのことを思っておられるかが語られています。
「二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。」マタイの福音書 10章29~31節
神は、私たちの周りの自然の美しさや美しい夕日など、人生の単純なことの中にさえも、私たちへの恵みと憐れみを示してくださいます。先ほど「朝が来た」という讃美歌を歌いましたが、これは私たちの周りの世界の美しさについての感謝の歌です。詩篇19:1には、「天は神の栄光を語り告げ大空は御手のわざを告げ知らせる。」とあります。なぜ自然が神を褒め称えるのでしょう?それは神は神であり、良いお方であるからです。朝日は神の偉大さと神がなさったすべてのことを思い起こさせ、私たちに問いかけるのです。もし神が花を咲かせ、鳥を歌わせるなら、神はどんなに私たちを愛し、気にかけておられるでしょうか。神は世界の全てを治めておられる方であるので、私たちの頭の毛の本数までご存じです。父なる神は私たちのことを良く知っておられるので、私たちの心の思いもご存知です。
旧約聖書詩篇139篇で、ダビデ王はこの様に書いています。 「主よあなたは私を探り知っておられます。あなたは私の座るのも立つのも知っておられ遠くから私の思いを読み取られます。あなたは私が歩くのも伏すのも見守り私の道のすべてを知り抜いておられます。ことばが私の舌にのぼる前になんと主よあなたはそのすべてを知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとってあまりにも不思議あまりにも高くて及びもつきません。私はどこへ行けるでしょう。あなたの御霊から離れて。どこへ逃れられるでしょう。あなたの御前を離れて。たとえ私が天に上ってもそこにあなたはおられ私がよみに床を設けてもそこにあなたはおられます。私が暁の翼を駆って海の果てに住んでもそこでもあなたの御手が私を導きあなたの右の手が私を捕らえます。たとえ私が『おお闇よ私をおおえ。私の周りの光よ夜となれ』と言ってもあなたにとっては闇も暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗闇も光も同じことです。あなたこそ私の内臓を造り母の胎の内で私を組み立てられた方です。私は感謝します。あなたは私に奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいはそれをよく知っています。私が隠れた所で造られ地の深い所で織り上げられたとき私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られあなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々がしかもその一日もないうちに。神よあなたの御思いを知るのはなんと難しいことでしょう。そのすべてはなんと多いことでしょう。数えようとしてもそれは砂よりも数多いのです。私が目覚めるとき私はなおもあなたとともにいます。」詩篇139篇1~18節
これらの聖句はすべて、御父が私たちをどれほど深く知り、気にかけておられるかを私たちに教えてくれています。 もし私たちが神の子であるなら、私たちは安全で大切にされ、子が親の元で安心を得るように私たちも神の元で安心し、私たちが弱っている時にはしっかりと抱きかかえられています。神は私たちの完璧な愛なるお父さんなのです。神は私たちのお父さんですから、私たちを罪から救い、神の家族の一員とするために私たちを養子にすることを喜ばれます。
さて、「神が私の父であるなら、なぜ私は神の家族に養子にされなければならないのか」という疑問があるかもしれません。神は愛に満ちた父だとお話ししてきました。しかし私たちは神の家族として生まれたわけはないのです。
創世記には神は完璧な世界を創造し、神に似たものとして男と女を創造し、彼らを神との関係、人間同士の関係、自分自身との関係、自然界との関係で祝福されました。これらの関係は全てが完璧でした。聖書はそれらの完璧な関係が罪(天地を創造した完全で清く聖なる方である神に従わず、神を無視した人生を生きること)によって壊れてしまったと語っています。それだけではなく、完璧な関係が壊れてしまった今、私たち人間の側から神の基準に近づくことはできなくなってしまいました。それは聖書のローマ人への手紙3章23節に書かれている通りです。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」ローマ人への手紙3章23節 また他の箇所では、「私たちは神の敵になってしまった」とも書かれています。しかし、神はその深い愛により、全ての人が希望や人生の目的を持つことができるように、壊れてしまった関係を修復する方法を用意して下さいました。私たちがもう一度神と共に歩み、神に信頼し喜ぶことができる様に、神はその深い愛を持って、ひとり子イエスキリストをこの世に送って下さった、と聖書には書かれています。イエスは私たちの罪の代価として、私たちのために命を捧げてくださいました。
「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」ローマ人への手紙6章23節
父なる神は、イエスキリストを世に送り、イエスの完璧な地上生涯、そして全ての人の罪をの身代わりとなられたことを通して、私たちにその究極の愛を示してくださったのです。
「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。」ローマ人への手紙5章8~11節
神は聖なる方で、清く、罪のない方であるのに、罪ある私たちの近くにおられ、優しく、私たち一人一人を愛しておられます。その神の慈しみ深い愛によって、私たちがもう一度神の元に近づくことができる道を与えてくださいました。父なる神は、私たちの罪の代価として御子イエスを遣わされた父なる神の最大の愛の贈り物を信じることによって、あなたや私を家族の一員となるよう招いておられるのです。
人間の父親が自分の子供の幸せな顔を見て喜ぶように、父なる神は神に背いた罪人である私たちを、喜んで神の家族に招き入れ、私たちを赦し、新しい人生を与え、私たちが神の家族の一員として幸せに生きることを喜ばれます。父なる神は人間の父親が、なり得ないような完璧な父です。神は神に信頼を置く者たちを愛し、祝福し、養って下さいます。神はあなたが完全に神を信頼するように、そして聖書に書かれていること(神がどの様な方か、神が行った事、これから行う事、約束してくださった事)を信じるように私たちを招いておられます。
神様はいつも愛してくださり、決して失敗することのない父です。あなたは今日、神様を愛する父として信頼しますか?
共に祈りましょう。
(訳:潤子・クロガー)