ヨミョン・ジョン牧師
2023年12月10日
イザヤ書 9章 1-7節
Battle Creekの皆さん、お久しぶりです。私は2011年から2015年までBattle Creekの日本語礼拝に参加していたジョンヨミョンと申します。 今日は、どうぞよろしくお願いします。当時、私はホーランドのウエスタン神学校に通い、日本宣教を準備していた神学生でした。月に一度、水田さんご夫妻の家で行われたBattle Creek日本語礼拝は、私のアメリカ留学生活の中で、最も大切な思い出の一つです。様々な国籍、人種、年齢層の人々が集まりましたが、誰もがありのままの姿で歓迎され、主イエスの中で一つになったその礼拝は、まるで天国の予告編のようでした。
神学校を卒業した後、Battle Creekのようなクリスチャンの共同体が日本にも増えることを願い、大阪の茨木(いばらき)聖書教会と神戸恵みチャペルという教会で、約7年間牧会をしていました。 そして昨年からは、母の健康上の問題で韓国に帰国し、両親と一緒に暮らしています。今は安城(あんそん)市という韓国の中部地域で、私の家族と他の数家族と一緒に、少人数で礼拝を捧げ、与えられた状況の中で牧会を続けています。今日、久しぶりに皆さんと一緒に礼拝を ささげることができて、本当に嬉しく思います。今年のクリスマス礼拝に、未熟な私を説教者として招いてくださった皆さんと、神様に心から感謝します。
今回の説教を準備する中で、ミシガン州で、皆さんと過ごした5年間を思い出しました。 当時、私は様々な日本人留学生と交わりながら、福音を伝える働きをしていましたが、キリスト教の福音に対して、それぞれ異なる反応を見ました。 中には、時間が経つにつれ、福音への確信がますます深まり、教会に安定して定着した方もおられました。しかしその 反面、キリスト教と教会生活に関心や興味はありますが、福音は受け入れられない方々もおられました。 このような方々に伝道するたびに、考えてみた質問があります。 「福音はなぜ、ある人々に納得しにくいものなのか?」「人々が、福音を受け入れるために、越えないといけないハードルは、何なのか?」おそらく皆さんも、何度か考えたことがあると思います。 本当に、多くの答えがありますが、私の経験上、福音をよく受け入れられない方々が持っている、一つの共通点があったと思います。 それは、罪と死というのが、私たちにどれほど悲惨な現実なのかを、よく共感できないということでした。
福音を理解するには、当然その核心である、イエス·キリストの救いについて、知るべきでしょう。 しかし救いの意味を知るには、まず私たちが、何から救われるのかを知らなければなりません。 何から救われるのでしょうか? はい、私たち人間の罪と、それによる死です。 それがどれほど悲しくて、恐ろしい現実なのかを心で悟ってこそ、初めて福音が教える、救いの真の価値が見えてくるのです。 聖書本文で、預言者イザヤは、当時イスラエルが置かれていた状況を、このような言葉で描写します。 「苦しみ」、「闇」、「辱め」。この単語の選びだけでも、どれほど深刻なのかが、感じられますよね? なぜイザヤが、このように否定的に描写するしかなかったのか、イスラエルの歴史的背景を、簡単に見てみましょう。
他の国の偶像を拝んだソロモン王の死後、イスラエルは、北イスラエルと南ユダに分かれました。 二つになったイスラエルは、南北を問わず堕落していきます。 北イスラエルと南ユダの王たちは、真の王が神であることを忘れ、神様の意思から離れて、自分だけの意志で国を統治しました。 その結果、偶像崇拝が激しくなり、神様より強大国にもっと頼り、指導者が堕落し、社会的な弱者が、無念に差別を受けることが多くなりました。 このように、神様から遠ざかった両国は、ますます勢いが傾いていきました。 周辺の強大国は、日々さらに荒くなり、より多くの貢物の要求に対して、イスラエルはただ無力にやられるしかありませんでした。
特に、北イスラエルの状況は、本当に深刻でした。 1節を見ると、ゼブルンの地とナフタリが、辱めを受けたと言っていますね。 この二つの土地は、北イスラエルに属した地域です。 B.C.8世紀前半、当時最強国だったアッシリアが、北イスラエルに攻め込んできましたが、特にゼブルンとナフタリ、その二つの地で数多くの人々が、残酷に死に、また多くの住民が、アッシリアに強制的に連れていかれました。 もはや、イスラエルには、回復する希望がよく見えなかったのです。 2節でイザヤが、「死の陰の地に住んでいた者たち」と呼ぶように、イスラエルの人々は、まもなく迫ってくる大国の侵略の前に、すべてをあきらめたまま、自分が残忍に殺される日だけを、待っているようでした。
イザヤは、当時イスラエルが置かれた状況について、話していますが、この聖書本文には、時代を問わず、神様から去った私たち人間の境遇が、どれほど悲惨なのかが、よく反映されています。 先ほど見たように、イスラエルは、神様の代わりに人間を王に立て、人間が治める統治に、自分たちの運命を任せました。 しかし、その結果は凄惨だったです。 同じように私たちも、自分の人生を治める王が神様ではなく、自分だと勘違いします。 そして、自分の目によさそうなものを追って、生きていきます。 これが、私たち人間、皆の本性です。 しかし、その本性は、いつも神の意思とは遠い方を指します。 そして、その方向を追って、夢中になって暮らしていると、いつの間にか神様から、だんだんと遠ざかっていくのです。生きている時には、時々嬉しくて楽しい時もありますが、神様と断絶した私たちの魂には、真の平安と安息はないのです。 そうするうちに、いつか死が迫ってきて、また神様と私たちは、完全に断絶されるのです。 ですので、神様がいない私たち人間は、イザヤの表現どおり「死の陰の地」の居住者なのです。 誰も死という運命を、避けることはできないということです。
このような意味で、死ほど、私たち皆が興味深く話せる話題が、あるのでしょうか。 たった一人の例外もなく、人間全員に共通点が一つあれば、それは、いつかは死ぬということです。 私も、私の愛する家族も、友達も、いつか必ず去っていきます。 死は仮想ではなく、私たち皆の本当の現実であり、だからこそ、私たち皆が共感できる主題なのです。 ところが実状は、死はそれほど人気のある話題ではありません。 ティム·ケラー牧師が書いたある本に、現代社会で見られる一つに、興味深い特徴が書いてありますが、それは人々が死について、あまり話さないということです。 死亡事件、または病気による死亡など、第三者の立場からは、死について、よく話されますが、自分がいつか迎えるその死が一体何なのか、どのような意味なのかは、ほとんど話すことはないのです。 死についてはできるだけ考えないで、代わりに幸せで、気持ちの良い他のことを、考えようとするのです。ティム·ケラー牧師の指摘通り、これは非常に特異な現象です。 なぜなら現代社会は、非常に露骨で率直だからです。 同性恋愛、不倫、政治家の不正まで、以前はタブー視されていたことが、今は自由に話せる社会の雰囲気になりました。 しかし、例外があります。それは死です。以前は、死の意味や死んだ後の運命について、人々は多くの関心を持って話しました。 ところが、今日では死について話すなという規則がないのに、現代人は、自分の死、近い人の死について、考えたり話したりするのを嫌がります。
現代では、死をすべて、科学的にだけ理解しようとする傾向が、強いですね。 死はただ、あまりにも自然な現象に過ぎないと言います。 死は、私たちの体が生物的な機能を果たし、小さな粒子に、分解される現象に過ぎないと言います。 昔は、死んだ後にその人の魂が、肉体を離れると見る傾向が強かったのです。 ところが今日は、「魂は実際に存在しない」「人間の心、考え、感情もすべて、脳で起きる物質化学的反応に過ぎない」と言います。 私たちが死んだ後は、体と精神がそのまま腐ってなくなるだけで、自分の魂が、死後の世界に入ることはないということです。 死は、私たちがそのように、悲しんだり、恐れなければならない対象ではなく、あまりにも当然の過程だと見るので、現代社会で死の意味は、以前よりはるかに軽くなったと見られます。 ところが死の意味が、本当に軽くなったとすれば、人々は以前よりさらに負担なく、死について自由に話さなければならないのに、むしろ死という現実に、向き合うことを敬遠します。 いつの間にか暗黙のうちに、死は、できれば口にしてはならない、タブー視されてしまいました。
いつから、死に対する人々の認識は、このように変わったのでしょうか。 それは、科学技術と産業が大きく発展した、近代時代からだそうです。 当時を生きた芸術家たちは、このような認識の変化が興味深く、作品として多く表現していました。 以前「踊る死」という、美術の本を読んだことがあります。 人々が持っている死に対する考えが、時代別にどのように変わってきたのかを、美術作品を通して調べる本でした。 その本で興味深く見た作品を、いくつか簡単にお見せしようと思います。
皆さん、エドヴァルド・ムンクという、ノルウェーの画家をご存知ですか? おそらく「叫び」というこの絵を、見たことがあると思います。 主人公は、何か不安そうですね。 ムンクは、20世紀前半を生きていく人々の心の中に、共通して何らかの不安が存在するということを、感知しました。 特にムンクは、死に対して関心が高かったのです。中世時代までを見ると、人々は信仰の領域で死を理解して、受け入れました。 ところが近世時代から、新たな死の定義が生まれました。 「死は単に、私たちの体の生物的な機能が終わったということだ」このように、以前よりも、もう少し簡潔で明確な定義ができたにもかかわらず、実際人々は、死に対して平安になるどころか、さらに不安を感じ始めました。
これは、ムンクが描いた、もう一つの作品です。 タイトルは「シュライナー博士とムンク」です。 雰囲気が何か暗くて、痛ましいですね。 絵の中で横になっている人は、ムンク自身です。 彼の体を解剖しているのは、ムンクの主治医だったシュライナー教授です。 ムンク自身は、悲惨な姿でベッドの上で死んでいるのに、シュライナー教授は、自分の死が全く何ともないという無表情をして、ムンクの体に、解剖用ナイフを当てています。 死を、残忍で悲惨な現実と感じる私たち人間の実際の心と、「死はただ当然の自然現象だ」という現代的な観点が、互いに衝突することを表現しています。
またムンクと同じ時期を生きた「フェルディナント・ホドラー」という、スイスの画家がいます。ホドラーも、死について関心が高かったのです。 彼の代表作に「夜」という絵があります。 黒いマントを着た誰かが、主人公のそばに座っています。 誰でしょうか?死です。 他の人たちはみんな寝ているのに、死は、自分一人だけを、起こしました。 誰も、自分を助けることができません。 この作品は、何を表現したのでしょうか。
昔は、人々は、自分のような信仰を持った共同体の中で、信仰の家族と共に、死を準備していました。 しかし、今日では個人主義が激しくなり、死を各自一人で、耐えられるものとして扱い始めました。 今日、本当に多くの人が、自分一人で寂しく死を迎えるようになりました。 特に多くの高齢者が、一人暮らしをされています。 子供たちは独立して、夫婦二人で過ごし、配偶者が先に離れると、自分一人が残ります。 そのような方々が、家の中に誰もいない時に孤独死して、しばらくして発見されることが最近とても多いですね。 そんなことが、自分にも起こるかもしれないと思うと、本当に恐ろしいですよね。 一人で死を迎えるその恐怖が、この男性の表情に、よく表現されています。 しかし、この男性の顔をよく見ると、誰かと似ていませんか? だれでしょうか。この人は、画家ホドラー本人なのです。 多くの人々の中で、自分一人で寂しく迎える現代人の死、現代人としての自分の死を表現したのです。
ムンクとホドラーの作品が表すように、私たちが生きているこの時代は、死の重さを減らそうとあらゆる試みをしました。 死を自然現象とだけ見て、霊的な領域、信仰の領域は、取り除こうとしました。 死を一人で耐えられると見て、死を共に準備する信頼の共同体を、排除しようとしました。 しかし、それにもかかわらず、死は決して軽くならなかったのです。 死は依然として、人々の心に、惨めで残忍な現実として、残っているのです。 死は決して、人間の弱い力では、征服できないものです。
これまで、罪と死とは、絶対に否定できない、私たちの本当の現実であることを見てきました。 これをこのように強調する理由は、説教の最初にお話ししたように、私たちが置かれている罪と死を、ありのまま受け入れてこそ、罪と死から救われるものが、何かを悟ることができるからです。 神様の恵みも同じでしょう。 自分が、ひどい罪人であることを認めてこそ、そのような罪人まで愛される神様の恵みを、知ることができます。 私たち自身の闇を、謙遜に認める時、初めて神様の明るさを悟ることが福音なのです。 福音を信じるということは、人間の闇と神様の明るさ、この明暗の二つの両極端の遠い距離が、イエス·キリストを信じる信仰の中で、克服されることです。
イザヤの福音もそうです。 2節を一緒に読んでみましょう。 「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。 死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。」 闇と大きな光、死の陰と光。 明暗の対比が、はっきりしていますね。 このような明暗の対比が、聖書本文全体に満ちています。 闇は、何を表現したのでしょうか? 神様より、人間の統治を信頼した、イスラエルに襲った罪と死の影響でしょう。 そして、その闇とは対照的な光があります。 その光は、何でしょうか。 人間の汚れた罪とは、正反対の両端にある、神様の聖なる臨在です。 絶対に近づけない最悪の闇と、最高の光が出会い、最も克明な対比を成しています。 しかし、互いに遠く離れている、この明暗の両極端の間に、道を開いてくださる方がおられます。 6節はこの方を、このように紹介します。 一緒に読みましょう。
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、 永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
闇のイスラエルと光のような神の臨在、この二つの両極端を和解させるその方の正体は、驚くべきことに、か弱い姿の、ひとりのみどりごでした。 このみどりごは、誰でしょうか。 イザヤが言った、このみどりごが1次的に当時の誰を指すのかについては、学者たちは多様な解釈を出します。 しかし、6節のそのみどりごが、究極的に誰を指すのか、誰が究極的に、この御言葉を成就したのかは明確です。 誰でしょうか?イエス·キリストです。 御子イエス様は、どのように闇と光の間に道を開かれるのでしょうか? 「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」「私たちのために、私たちに」という言葉が、2度も強調されました。 その御子は、光である神様の臨在を持って、私たちのために、私たちに、私たちの中に、私たちのその闇の中に、入ってこられたということです。
皆さん、ヴィトルド・ピレッキーという、ポーランド人をご存知ですか? ピレッキーは、ポーランドでは伝説的な人物です。 ポーランド人のほとんどが、彼を覚えている理由は、彼が他人が絶対にしない特異な行動をしたからです。 皆さん、アウシュヴィッツ収容所をご存知ですよね? 地獄のようなナチスの収容所です。 ピレッキーは、アウシュヴィッツに強制的に連れ去られたのではなく、自ら進んで行ったのです。 なぜピレッキーは、その最悪の場所に自ら入ったのでしょうか? 当時は、第2次世界大戦の時でしたので、 ポーランドはドイツに敗北し、ドイツの支配を受けることになります。 そして多くのポーランド人が、収容所に連れて行かれるようになりました。
最初からアウシュヴィッツが、悪辣な場所として有名だったわけではなく、しばらくはアウシュヴィッツ収容所は、誰も知らない正体不明の場所でした。 ユダヤ人、ローマ人、ポーランド人など、数多くの人が連れて行かれましたが、いくら時間が経っても収容所の外に出る人が、全くいなかったのです。 一体収容所の中で、何が起こっているのか、だんだんと疑問がたまってきました。 ポーランドの独立運動家だったピレッキーは、収容所の中の同胞たちを救うために、その中に直接入り、そこの実状を、外に知らせなければならないと思いました。 そこで1940年9月に、ピレッキーは自らナチスに逮捕されました。 そして彼の計画通り、アウシュヴィッツ収容所に、入ることになりました。
ピレッキーは、収容所の中に閉じ込められた人々と、同じ状況に置かれるようになりました。 実際に見たアウシュヴィッツは、地獄そのものでした。 あまりにも大変な労働と、監視員の暴行のために、数多くの人々が、気力を失っていきました。 労働に役立たない人は、人体実験室や死刑場に送られました。 食べ物も、本当に悲惨なものでした。 収容所で与える食べ物は、量も少なすぎて、栄養が不十分で、人々はまるで骸骨のように痩せていきました。 しかも、口にすることができないほどの残忍な大量虐殺が、何度もその中で起きました。 アウシュヴィッツは悪、そのものでした。 しかしピレッキーは、約3年間、収容所の中で自分の同胞と共に、つらい強制労働に耐えながら生きてきました。 そして1943年4月、ピレッキーは警備員を制圧して、アウシュヴィッツを脱出しました。 そして、自分が経験したアウシュヴィッツの状況を記録して、西側諸国に知らせたのです。 これがまさに、ピレッキーの名字をタイトルに付けた「ヴィトルド報告書」です。 この報告書は後に、アウシュヴィッツの人々を救うのに、非常に重要な役割を果たしました。
この話を、どうお聞きになりましたか。 ある方はピレッキーのこの話が、人間になられた御子イエス様の話と、少し似ている部分が、多いと感じられたと思います。 私たちがこの話から感動する理由は、ピレッキーが収容所の中の同胞を解放するために、収容所の外ではなく、収容所の中に直接入ったからです。 そして彼は同胞と共に、その苦しい生活を共有し、彼らの苦痛に共感しました。 それがピレッキーが、同胞を救う方法でした。 それではイエス様は、私たち人間を罪と死から解放させるために、何をされたのでしょうか?。 この方も、私たちが生きるこの壊れた世界の外ではなく、その中に入ってこられました。 そしてその方は、この険しい世の中を生きていく中で、私たちが経験するすべての痛みと苦痛を直接経験しました。
ナザレという貧しい村で、卑しい身分で、イエス様は貧しさと不合理な差別を経験されました。 いつも他人の嫉妬に耐えなければなりませんでした。 最も信頼し、愛する人々から裏切られました。 あらゆる拷問で、肉体的な苦痛を経験されました。 イエス様は、私たちのこの悲惨な世界に、入ってこられただけでなく、このように徹底的に、私たちと同じ経験をされたのです。 ですのでイエス様は、私たちのことを、とてもよく知っておられるのです。 私たちのどの部分が弱いのか、私たちがどのような試練に、よく倒れるのか、何に傷つくのか、何で苦しんでいるのか、そのすべてを完全に理解して共感しています。 このようにイエス様は、私たちと同じ人間なので、私たちと同じ経験を共有される方なので、イエス様は私たち人間を代表することができるのです。しかし私たちとは違って罪は全くなかったので、私たちの罪に代わって死ぬことができました。 私たちのようなイエス様が、私たちの贖いになってくださったので、私たちは罪の死の闇から解放され、父なる神様に移されたのです。 このように人間となられた私たちの主イエス·キリストは、私たちの闇の外から照らす離れた光ではなく、私たちの闇の中に入ってこられ、私たちの近くで照らしてくださる愛の統治者であるのです。
イザヤは、統治者なる御子イエス様に対して、4つの名称を付けました。 一つ目は「不思議な助言者」ですが、これは戦争をうまく指揮できる、卓越した戦略家のことです。 二つ目は、「力ある神」ですが、古代には戦争が起きれば、自分が仕える神が、必ず共にして勝利に導いてくれるというその信頼で、堅固に戦いました。 三つ目は、「永遠の父」ですが、これは家庭をよく世話する、愛にあふれた誠実な父像を指します。 最後に四つ目は、「平和の君」ですが、神様の御心に従って、正義を持って民に仕える王のことです。
イエス様は、この4つを全て持っておられる統治者です。 このような方が、私たちの人生を治めてくださるなら、どれほど大きな慰めになるでしょうか? 私たちはイエス·キリストを信じて、救いを受けましたが、救いは一瞬にして、すべて終わるのではないのです。イスラエルは、エジプトから出た後、すぐに約束の地に入ったのではなく、遠い荒野の道を経て、約束の地に入りました。 同じように私たちも、イエス·キリストを信じて救いの旅程を始めましたが、父なる神様の御胸に完全に抱かれるまで、荒野のような人生の道を、歩き続けなければなりません。 罪によって壊れたこの世界では、毎日が容易ではありません。 弱い自分自身によって、大変なのです。 利己的に生きている自分の周りの誰か、いつも自分を傷つける誰かによって、大変なのでです。 経済的に、大変な時もあります。 この社会の不公正さのせいで、腹が立つ時もあります。 自分と自分が愛する人に、予想できなかった試練、耐え難い危機が迫ってくる時もあります。 ですから、私たち自らの力では、絶対に納められないのが、私たちの人生、私たちが生きているこの世なのです。
しかし、私たちは慌てる必要は、ありません。 ただ、自分の弱さを謙虚に認めて、直面すればいいのです。 人間に過ぎない自分の統治力が、どれだけみずぼらしいかを知るほど、イエス·キリストが、自分の人生の主人にならなければならない、その必要性をさらに、切実に悟ることになるからです。 自分が治める人生が、どれだけ不安で、崩れやすいかを知るほど、キリストに自分のすべてを委ねる時に与えられる、平安と感謝をより深く感じることができるからです。 私たちはただ、自分のありのままの弱さの中で、真の統治者である主イエスを求めればいいのです。 すると、主イエスは、私たちが経験する闇の外ではなく、すぐ私たちの近くで、私たちのすべての歩みを導いてくれるでしょう。
「不思議な助言者」である主イエスは、戦いのような私たちの人生全てを、直接経験されたので、常に信仰の中で、正しく賢明に生きていける、卓越した知恵を与えてくださいます。 「力ある神」である主イエスは、私たちがどんな状況にも、挫折したり倒れたりせず、堅固に神様の御心通りに生きれるように、私たちのそばで勇気と確信を与えてくださいます。 「永遠の父」である主イエスは、神様の子供である私たちをいつも大事に思われ、見守ってくださいます。 「平和の君」である主イエスは、一時も離れず、常に神様の御心と正義に従って、私たちに仕えてくださいます。 私たちの大変な人生の外で、命令だけを下す統治者ではなく、常に私たちの人生の中で、私たちの心と体と、私たちのすべての状況と、この世の全てを完全に治めて下さる主イエスの存在が、どれほど感謝なことでしょうか。 私たちが、救いのすべての旅を完走するまで、イエス·キリストは、嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、私たちのすべての人生の瞬間の中に入ってこられ、一歩一歩踏み出す私たちの歩みを、明るく照らしてくださるでしょう。