メッセージ:Bob Laning牧師
翻訳:クロガー潤子
箴言3章1-10節
今日は、私たちに必要な心の平安と、それをどの様に神が備えてくださるかを話していきたいと思います。
- そもそも、私たちは心に安心を必要とする存在です。
- それを避けることはできません。
- 私たちはどの様な状況下においても、特に困難な時は安心を願います。
- 安心が必要なので心配します。
- 心が平和でいたいので、学業に励んだり、良い仕事をしようとします。
- 安心したいので、将来の計画を立てます。
B. 私たちはいつも何かや誰かを信用、あるいは信頼して人生を歩んでいます。それらが私たちが求める安心や保証を与えてくれると期待しているのです。
- 何かや誰かに信用しないという選択肢はあり得ないということです。何かや誰かに信頼を置くことが平安を得る必須条件なのです。
- 神に信頼する信仰は、自信につながり、心安らかな人生を送ることができます。
C. 私たちの決断を神に委ねた時、神は私たちがどの道を歩めば良いか導いてくださると約束してくだっています。
これは新しいことではありませんが、私たちは、「神が私たちに安心を与えてくださる方だ」ということを、何度も思い出させていただく必要があります。人生がうまくいかない、信じられないことが起きた時は、特にその必要があります。
ではさらに深く学んでいきましょう。
- まず、神は完全に愛のゆえに私たちに近づいて来てくださるということを理解しなければなりません。 父なる神は、私たちが神を「Abba」と呼ぶことができる言いました。それは「パパ」という意味です。イエスは私たちの罪のために十字架にかかって死にました。なぜなら私たちを愛していたからです。
- 次に私たちは安心したいと願い、それを感じるために行動する弱さを持っています。
実はこの思いが原因で働き過ぎてしまったりします。
これが学校で良い成績を得よう、一生懸命頑張ろうととする理由なのです。私は大学で一生懸命勉強しました。
私たちは将来の計画を立てます。私の場合、働いた給料の中から、退職した時のために401kに貯蓄しました。
安心を得たいので私たちは医者に行き、体に良いとされることを実行するのです。もし病気になったら早く治りたいと思うでしょう。
人生は楽ではありません。どの方向に進んでいけば良いのかわかりません。出来事全てを理解したいと思います。しかし実際この思いが不安の材料なのです。
3. 私たちは、誰かや何かに信頼し、安心を得ようとします。
● 信仰、あるいは信頼とは何でしょうか?誰かや何かに信頼するというのはどういうことでしょうか?
● ヘブル人への手紙 11章1節「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
私たちは誰かや何かが、何があったとしても私たちと寄り添ってくれると期待します。
- ミシガンの冬は曇りやすいですが、私たちは明日も太陽が昇るということをを知っています。
- 車を運転する時に、反対車線の車が自分の目も前に来るなんて普通だったら思いませんし、
- 飛行機に乗っている時に、墜落するだろうなんてあまり思いません。何か異常なことがない限り私たちは安全だろうと期待するわけです。
4.私たちは皆、日常の安全を得るために頼っているものがあります。これらが向上することは良いことかもしれないが、私たちの安全を確証するものではありません。
例えば、
お金: 年金や借金のない生活など。
物: 必要な物、質が良く、新しい物、最新の技術など。
人: 友達、家族、教師など。
政府: 年金、政治家の政策など
カメラは常にどこにでもあります。 道端、家、玄関など。
もし完璧な仕事を得たら、一生安泰で暮らせる。
良い学校、成績など。
5. これらはを所有したり、習得したりするのは良いかもしれませんが、それに信頼を置いてはいけません。なぜなら完全ではないからです。
- 色んな理由で仕事を失うかもしれません。
- 政府が政策を変えるかもしれません。
- 人は約束を破ったり裏切ることもあります。
- 良い学校でも自分にとって良い教育であるとは限りません。
- 離婚や死別、失業などで結婚生活が終わるかもしれません。完璧な家族はありません。
- もしかすると健康を害するかもしれません。
6. 神は、私たちが理解できないような状況にいたり、どうしたら良いのかわからない時でさえも神に信頼しなさいと言っています。
- 私たちには、目に見えず、触れなく、感じることができない存在に信頼するのは難しいです。
- もし自分にできる限りの努力をしたのに人生が上手くいかなかったら?仕事を失ってしまったら?病気が治らなかったら?結婚生活が改善しなかったら?
- 時々、神は私たちの思いや願いと異なる計画を持っています。
- 太陽が明日も昇るだろうという、何の疑いもない期待を持ちましょう。私たちの人生も神が共に歩んでくださり、丁度良い時に丁度良い方法で解決してくださいます。
7. 毎日の生活の決断を神に委ねる。(神に信頼する。箴言3:6)
- 全ての状況で、神に委ねた時に、神は自分が思いもしなかった様なアイデアを与えてくださるでしょう。
- 御言葉を行う様に導かれます。
- 配偶者や友人、職場の人など、多くの助けが与えられます。
- 試験などでは、今まで自分が学んだことを発揮できる様に助けてくださいます。
- 機会を与え、将来の歩みを導いてくださいます。
- 物質的な必要を与えてくださいます。ナンシーと私は経済的に困難だった時、貯蓄が少なく支払いが難しかった時でも、一度も小切手が使用不可になることはありませんでした。
- マイアミから引っ越した時も、その全ての過程と、退職まで導いてくださいました。
- 全ての経済的な必要を備えてくださいました。
- これは居心地の良い人生を約束するものではありません。私たちは時に殻を破る必要があるのです。
- もしかしたら神の約束にはほど遠い様な難しい状況に置かれている、あるいは将来置かれるかもしれない時、神に信頼を置くのが難しいと思われることもあるかもしれません。
- しかし箴言3章5節にあるように、状況は人や物で判断するのではなく、神が見えないところで働いておられ、神が約束してくださったように、全てのことを益として働いてくださる(ローマ8:28) ということを信じましょう。
- 困難な時にこそ神を見上げ、礼拝しましょう。神のなさることに期待しましょう。
8. 箴言3章から学ぶ、安心を得るための原則
- 悪から遠ざかる。少しでも怪しいと思う様な状況に気をつけ警戒しましょう。
- バランスを保って必要なところにお金を使いましょう。そうすることで、与えられた財産を健康的に管理することができます。お金は良いもので、必要なものです。しかし、神よりも金を優先しては本末転倒です。(お金はあらゆる悪の根源です)身の丈以上の生活をしてはいけません。経済的に賢くなりましょう。
- 箴言3:7「自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。」これも健康を保つために有益です。
- 箴言3:3-4 愛と誠実さは、仕事上でも他の人々に対しても好意をもたらします。これは仕事においても、人間関係においても、そして一般的に人生においても良いことです。
- 愛にはプラスの効果があります。仕事では頼りがいがあり、信頼できる人になりましょう。
9. その他の関連する聖書の原則
● ピリピ人への手紙4章6~7節
「 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。”」
神があなたの祈りに答えてくださり、必要を備えてくださり、安心を与えてくださることに感謝しましょう。あなたの周りの状況が上手くいっていなくても、信頼の証として神に感謝と賛美を捧げましょう。
神に私たちの必要を知ってもらいましょう。神からの平安と守りが与えられます。
今日のまとめです。
心の平安への思いは私たちにはじめから備わっているものです。
私たちは安心感を常に求め、必要としているので、それを得ようとするために必要なことをします。
私たちは、安心感を与えてくれる何かや誰かを信じようとします。
神以外のものや誰かを信じても、結局はうまくいきません。何らかの形で失敗してしまいます。
私たちが神に期待し、神の導きや備えを求める時に、神は一番良い時と方法で私たちを導いてくださいます。
神に信頼して生きることは時には大変に感じることもあるかもしれませんが、神は神を信じて従って生きる者と共に歩んでくださり、平安で心を満たしてくださいます。
心配せずに神に信頼して生きていきましょう。