メッセージ:織田恭博牧師
2023年5月7日(日)
ローマ人への手紙1章1-7節
皆さん、こんにちわ!今日は2006年以来、17年ぶりにバトル・クリークの皆さんと、リモートでお会い出来てとてもうれしいです。
初めての方のために、少し自己紹介させて頂きますが、私は1993年から 2006年までの13年間、ミシガン州のColdwaterに住み、その頃バトルクリークに住んでいらした水田ご夫妻の家にも毎週のようにお邪魔していました。本当に懐かしいです。
今、私はここ南カリフォルニア州のロサンゼルスの近くにあるトーランス市(ロサンゼルス空港から20分)に住んでいます。今日は、同じ北海道出身の永末ちひろ姉妹のお誘いにより、こうして皆さんとお会い出来て、神様に感謝しています。
時間が限られているので、早速お祈りして始めます。
先ほどちひろさんに読んで頂いた「ローマ人への手紙1章1~7節」の特に1節から、「キリスト・イエスのしもべ、パウロ」と言う題でお話をします。
「ローマ人への手紙」は、歴史的にも多くの人々にもっとも影響を与えた書簡と言われています。
① あの宗教改革者で、ローマ・カトリック教会の修道士だったマルチン・ルターは、ドイツのウイッテンバーグ大学の学生たちに、特にこの「ローマ人への手紙」を教えていたと言われています。彼は、この「ローマ書」を綿密に調べていたときに、1517年のある日「神の義」について、また「信仰による義」について、その意味を理解したと伝えられています。
➁ イギリス教会の有名な教職者、ジョン・ウエスレーは、1738年5月24日の水曜日の夕方、マルチン・ルターの「ローマ書注解書」を通して、救いの確信を受けたと言われています。
パウロは、新約聖書の中で13の書簡を書きましたが、しかしこの「ローマ人への手紙」は、他の書簡に比べてとてもユニークな書簡と言えます。なぜなら、パウロは彼の「第三回目の伝道旅行」の最中、紀元後56年にコリントの町で、ローマの教会宛にこの手紙を書きました。(地図参照)
しかし彼は、まだ一度もローマを訪問したことはありませんでしたが、行ってみたいと思っていました。なぜなら、当時ローマは世界の中心であり、それゆえに彼は「ローマの人々に福音を伝えたい!」 と思っていたからです。
彼のほとんどの手紙は、彼の挨拶文から始まっています。彼は、しばしば一つの文章の途中で、急に他の内容について書き始める癖があるようですが、この手紙もその良い例です。
実はこの彼の挨拶文は、1節から6節の最後へ飛ぶとわかりやすいと思います。
1:1「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロから ―このパウロから1:7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」
しかし、彼はその挨拶の途中で、2節から6節まで突然この手紙のテーマについて説明し始めているのです。
パウロはこの短い1節で大事な三つの事を言っています。
私は、
1.「神の福音のために選び分けられた」
2.「使徒として召された」
3. 「キリスト・イエスのしもべ、パウロ」
今日は時間の関係で、この「ローマ人への手紙1章1節」から、特に最後3番目の「キリスト・イエスの しもべ」についてお話し、他の1と2についてはまた 次回にお誘いを受けたら、お話したいと思います。
実は、このパウロはクリスチャンになる前まではユダヤ人たちの名前である「サウロ」と呼ばれていました。しかしながら、クリスチャンになって異邦人伝道の働きをするようになってからはギリシャ人、 あるいはローマ人達の名前である「パウロ」に変わりました。
皆さんの中で、アメリカ人のために英語の名前を持っている人がいませんか。私のFirst nameは「恭博」と言いますが、ほとんどアメリカ人は発音が出来ないようで、あるアメリカ人たちは私を「Yasu」と呼んでいます。
名前を変えることは、当時のユダヤ人にとって珍しいことではありませんでした。
1 例えば、旧約時代の「アブラム」は(歯が生えてから)「アブラハム」と名前を変えました。
「あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」(創世記 17:5)
2. 「ヤコブ」は、「イスラエル」と変わりました。
「その人は言った。『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。』」 (創世記32:28)
3 シモンは、イエス様の弟子として選ばれてからは、イエス様によって「シモン」から「ケパ」に、訳すと「ペテロ」と名前を変えられました。
「イエスはシモンに目を留めて言われた。『あなたはヨハネの子シモンです。 あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。』」 (ヨハネ1:42)
パウロは、恐らく神様によって異邦人伝道の宣教師として選ばれてから、ユダヤ人名からギリシャ人名へと変えたかったのでしょう。それによって福音を異邦人たちに伝えやすいと考えたのです。
「ローマ人への手紙1章1節」をもう一度読みましょう。
1:1「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスの しもべパウロ、」
I] 「しもべパウロ」:キリストにある本当の自由
パウロは、自分を他の人々に紹介する時いつも「私はキリスト・イエスのしもべ」と言っています。ギリシャ語で「しもべ」と言う単語は「ドゥーロス」と言い、「奴隷」という意味のことばです。当時、ローマ人達によって「奴隷制度」という、奴隷達にとっては人権を無視したひどい制度があったのでした。「奴隷」は、主人を選ぶ権利もなく、一生主人からの自由はまったくありませんでした。奴隷たちは、人間としてではなく、まるで動物のように扱われていたのです。
I-Q1:ここで質問ですが、なぜパウロはそんなひどい「奴隷」ということばを使ったのでしょう?
なぜなら、パウロは復活のイエス様と出会ったときから、イエス様は彼にとって「救い主」であり、また「主人」であることを知り、そのイエス様に自分の人生を委ねたからです。
クリスチャンになってから自由がなくなったからではなく、逆に彼は「本当の 自由」を得たことを知り、イエス様に従ってからは「心の中に喜びが与えられた」ことを知ったからです。
パウロは「使徒の働き26:27」で、なぜ捕まえられたかをアグリッパ王(ヘロデ大王のひ孫)に弁明する時、こう言ったのです。
「アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」(使徒 26:27)
すると、アグリッパ王はパウロに28節で、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。」(使徒 26:28)
というのでした。パウロはいつかアグリッパ王がクリスチャンになるようにとお祈りしていたでしょう。なぜなら、パウロはアグリッパ王が聖書を読んでいたこと、またユダヤ人の 文化、習慣について学んでいたことを知っていたのです。すると、パウロは彼にこう言いました。
「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」 (使徒 26:29)
そうです。パウロはローマ兵によって鎖につながれた状態でしたが、しかしイエス様を彼の主人として従ってから「本当の自由と喜び」があることを知っていたからです。
あなたは、今あのパウロのように「自由と喜び」がありますか?
II] 「キリスト・イエス」:イエスが救い主
この「ローマ人への手紙1章1節」の中で、私はもう一つの質問があります。
II-Q2: なぜパウロは、「イエス・キリストのしもべ」と言わず、「キリスト・イエスのしもべ」と言ったのでしょう?
「キリスト」ということばは、イエス様のFirst nameではなくタイトルであって、 ギリシャ語では「クリストゥース」と言い、それは「油注がれた者」「メシヤ」、つまり「救い主」という意味です。
パウロは、イエス様は彼にとって「メシヤ、救い主だ!」と言っているのです。そして「ローマの人々よ!実はイエス様はあなた達にとっても『救い主』なのです!」と伝えようとしていたのです。勿論、ほとんどのユダヤ人たちも「メシヤ、救い主」を信じていましたが、しかしそれがイエス様とは信じていませんでした。それゆえに彼らは、「イエス様こそ、メシヤ、救い主だ!」というパウロを殺そうとしたのでした。
みなさん、起きてください! もう終わりますが、ボブ・ディランは昔”Gotta Serve Somebody”「君は誰かに仕えなくちゃいけない!」と 言う歌を歌いました。
あなたは、今何を主人(マスター)として仕えていますか?お金、物?教育、出世、あるいはあなた自身ですか?(「私は家内に仕えてます!」というかもしれません?)
あなたが今クリスチャンであろうとなかろうと、ボブ・ディランの歌のように「あなたも誰かに仕えなければならない」でしょう。
もし、まだならあなたもここにいるクリスチャンたちのように、今日から「キリスト・イエスのしもべ」として、彼に仕えませんか?
もしあなたが今「罪」という目に見えない鎖で縛られ悩んでいても、キリスト・ イエスをあなたの心の中に「救い主」としてお迎えするなら、キリスト・イエスはあなたの罪を赦し、自由と喜びを与えて下さるお方です。
お祈りします。