エペソ人への手紙2章4節、5章8節~9節タイトル: キリストの復活と私たち

Message by Pastor Samuel Kim
日本語訳:クロガー潤子

April 17, 2022

皆さんは練炭というものをご存知ですか?現在では使用する人はあまりいませんが、30年前は、多くの韓国人にとって冬の季節を乗り切るためになくてはならないものでした。練炭を用いて部屋を暖かくすることで、体を温めることができたからです。現代の私たちにとっては、練炭は黒く汚く醜くて、一見価値がない様に思えるかもしれません。しかしながら練炭には、実は深い意味があるのです。それを今日皆さんと考えていきたいと思います。

練炭に火がつくと、練炭自体は燃え尽きますが、氷のように冷たい部屋が暖かくなり、凍えた体を暖かくします。また、練炭が燃え切った後の灰を凍った道路や小道に撒くと、滑りにくくなります。こうして練炭はその用途を果たすのです。

さて、本日の聖書箇所でパウロは、神がひとり子イエス・キリストを与えて下さったことにより、私たちに対する大きな愛を示されたと言っています。これはとてもシンプルに表現されていますが、非常に大きな意味があります。なぜならイエス・キリストは、先程お伝えした練炭が燃え尽きることによって人々を暖めるように、ご自分の体を捧げられたからです。イエスは、天の王座に座ることができるにもかかわらず、罪に満ちたこの世界に人として来られ、飼い葉桶で生まれ、大工の息子として生きられました。聖なる神が人として、この悪に満ちた世界に住まれるなんて想像できますか?これは私たち人間にとって到底説明できない神の深い愛なのです。

イエスはご自身が十字架で犠牲になり、死に、よみがえられるという使命を知りつつこの世にこられました。私たちはそれを聖書から見る事ができます。

イエスが十字架にかかったということは、全世界が大きく変わる出来事でした。イエスはご自身を捧げることにより、全人類が受けるはずの十字架による苦しみを全て受け、死に、よみがえることを通して、罪によって暗闇の中にいた私たちに、その大きな愛を示してくださいました。

エペソ2: 4 – 5には、「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」と書かれています。

この十字架の愛を説明するために、ハイデルベルク・カテキズムの問43-45とその答を通して、より詳しく説明したいと思います。

これは1563年に書かれた改革派伝統のカテキズムで、多くの改革派教会や長老派教会で長年信仰告白としてよく使われる問答集でもあります。

まずは、「十字架は私たちに何を示しているのか?」という問いに対して、ハイデルベルク・カテキズムの第43問答を引用して説明したいと思います。

問43:「十字架上でのキリストの犠牲と死から、わたしたちはさらにどのような益を受けますか。」

答: 「この方の御力によって、わたしたちの古い自分がこの方と共に十字架につけられ、死んで、葬られる、ということです。それによって、肉の邪悪な欲望がもはやわたしたちを支配することはなく、かえってわたしたちは自分自身を感謝のいけにえとして、この方へ捧げるようになるのです。」

十字架は私たちに何を示しているのでしょうか。それは「キリストの十字架の死によって、私たちの古い性質が十字架につけられ、死に、葬られる、ということです。それによって、人の悪い欲望がもはや私たちを支配することはなく、代わりに私たちは自分自身を感謝のいけにえとしてキリストに捧げることができます。」という事です。

そして、十字架の愛は、イエス・キリストがすべての苦しみ、特に十字架上の苦しみを耐え抜いて下さったた事によって、私たちの最大の痛みや悲しみ、苦しみや憎しみ、誘惑から私たちを救い出し、解放してくださるのです。皆さんもこの救いを受けることができ、神による慰めが与えられます。

私たちが信仰告白として告白する使徒信条を韓国語で見ると、「(主は)十字架につけられ、死にて葬られ、三日目に死人の内よりよみがえり。。」とあります。ところが使徒信条の原文を見ると、韓国語版では 「陰府(よみ)にくだり」 という部分が省略されています。

英語版の使徒信条を見ると、「。。。十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり。。。」となっており、また、ラテン語の使徒信条の原文にも、「。。。ポンティオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、。。。」とあります。

この事を詳しくお伝えしている理由は、イエスご自身が十字架で死に、陰府に下られたからです。隠府とは死者の魂が留まる場所です。

私たちのためにすべての苦しみに耐えて、十字架につけられて死なれただけでなく、隠府に下られたというのを理解するのは、人間の理屈では難しいかもしれませんが、

ハイデルベルク・カテキズムの第44問答で、十字架の愛を説明するために、その部分を次の様に説明しています。

問44 : なぜ「隠府(よみ)に下り」と続くのですか。

答: それは、わたしたちが最も激しい試みの時にも次の様に確信するためです。すなわち、わたしの主キリストは、十字架上とそこに至るまで、御自身もまたその魂において忍ばれてきた言い難い不安と苦痛と恐れとによって、地獄のような不安と痛みからわたしを解放してくださったのだ、と。

この告白は、イエスが隠府に下られた、もっとはっきり言えば、その場所に行くに値する私たちのために十字架上の死を通して、イエス自らが隠府に下り、私たちのすべての罪、恥、傷、そして私たちと神を断絶する全ての痛み、また神が創造された全ての良いもの(光、食物、飲み物、美しいもの、希望、愛、宝など)を味わうことができる様に、私たちを救って下さったということです。

イエスは十字架上で、父なる神に対して「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれましたが、これも非常に深刻な苦痛です。

イエスは、私たちに完全な救いを示して下さいました。

イエスは死んで隠府にくだられただけでなく、三日目によみがえられました。この、死に勝利された主を褒めたたえましょう!これは本当に素晴らしい喜びです。これ以上の喜びが他にあるでしょうか。

私たちを心から愛する神が、そのひとり子であるイエス・キリストの復活によって、全ての人を暗闇の支配から解放されよう招いておられます。そして、死から復活されたイエスが、その復活の命を私たちに示して下さったことで、私たちに、神の素晴らしい業を見させてくださっているのです。

つまり、イエス・キリストは、その復活によって死に打ち勝ち、私たちを不義の中から義と移してくださったのです。あなたと私はこのイエスの死と復活を信じることにより、神の子供としての特権が与えられ、新しい命が与えられるのです。

ハイデルベルク問答45では、特にキリストの栄光の復活がどのように私たちに利益をもたらすのかが説明されています。

問45: キリストの「よみがえり」は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。

答: 第一に、この方がそのよみがえりによって死に打ち勝たれ、そうして、御自身の死によって私たちのために獲得された義にわたしたちをあずからせてくださる、ということ。

第二に、その御力によってわたしたちも今や新しい命に呼び覚まされている、ということ。

第三に、わたしたちにとって、キリストのよみがえりは、わたしたちの祝福に満ちた復活の、確かな保証となる、ということ。

親愛なる韓国系アメリカ人教会と日本語礼拝に参加されている皆さん、是非知っていただきたいのは、キリストの復活は、私たちの将来の復活を確かに保証するものです。

主の復活を祝うイースターの今日、私たちは主の確かな十字架の愛を持って、この場所で共に主を礼拝しています。これが祝福された者が受ける恵みです。

私たちは、今、天の御国で父なる神の右に座しておられるキリストに向かい、キリストによって新しく生まれた者として人生を歩もうではありませんか。キリストにあって新しくされた者は日々「キリストに似た者とされる」よう、この世が求めるものを求めず、神の御心を行う者として、捨てなければならない悪い習慣や思いを捨てて神に従おうではありませんか。イエスキリストが復活された力によって、私たちも神の御心を行い、本来私たちに与えられている人生の目的に沿って日々を送っていこうではありませんか。

エペソ5章8-9節にはこのように書かれています。

「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。」

この聖書の言葉によると、イエスを救い主と信じた者は、主にあって復活した光なのです。光の子どもとして歩み、実を結ぶためには、日々、神の御心、すなわち良いことや正しいことを行う練習をする必要があります。キリストの復活を信じる者にとって神の御心を行う時、それができるように神は力を与えて下さいます。

最初に練炭の役割をお伝えしましたが、イエスの偉大な愛はまるで練炭から生じる暖かさのようです。イエスが愛の故に私たちの身代わりとして十字架にかかってくださり、それによって私たちを死から命へ移してくださいました。そして私たちの冷え切った心に暖かな光を灯してくださったのです。また、練炭の灰が凍った道を安全に歩けるように、イエス・キリストは復活によって命の道を開いてくださいました。

キリストにある兄弟姉妹の皆さん、

神は、私たちをキリストの復活と共によみがえらせ、キリストと共に天に着座する者として下さいました。それは過去、現在、未来、そして永遠に変わることはありません。

皆さんがイエス・キリストの復活を心から賛美し、神の光の子として、日々の生活を過ごすことができるよう、心から願い、祈ります。

共に祈りましょう。

神様、今日のメッセージをありがとうございました。あなたの大きな愛は、私たちの人生の困難や悲しみから私たちに希望を与えて下さいます。そして、あなたはキリストの復活によって、私たちをあなの元に戻ることができるようにして下さいました。全てはあなたの恵みによるものです。あなたの素晴らしい愛に感謝します。イエス・キリストの御名において祈ります。アーメン

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